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沈黙の共犯者たち:ジョン・ピルジャーの『国家の死』と忘れられたジェノサイド

ジョン・ピルジャーのドキュメンタリー『国家の死』を再検証する。インドネシアによる東ティモール占領とジェノサイドにおける、米国、英国、オーストラリアの共謀を暴く。この忘れられた残虐行為の責任と、沈黙の代償を問う。

沈黙の共犯者たち:ジョン・ピルジャーの『国家の死』と忘れられたジェノサイド
画像出典: Wikimedia Commons / Wikipedia — East Timor genocide

要点

  • ジョン・ピルジャー監督の『国家の死』は、インドネシアによる東ティモール占領下でのジェノサイドに対する西側諸国の共犯関係を暴いた画期的なドキュメンタリーである。
  • 1975年から1999年にかけて、東ティモールでは人口の約3分の1にあたる最大20万人がインドネシア軍による殺害、飢餓、病気で命を落とした。
  • 米国、英国、オーストラリアは、冷戦下の地政学的利益と経済的利権のために、インドネシアのスハルト政権に武器を供与し、外交的隠れ蓑を提供した。
  • 1991年のサンタクルス墓地虐殺事件は、占領の残虐性を世界に知らしめる転換点となり、ピルジャーの映画でも中心的に扱われている。
  • 東ティモールは2002年に独立を達成したが、ジェノサイドの責任追及は不十分であり、大国による免責の構造は今なお続いている。

ジョン・ピルジャー監督の1994年のドキュメンタリー『国家の死:ティモール陰謀』は、インドネシアによる東ティモール占領(1975-1999年)下で行われたジェノサイドを告発する記念碑的作品である。本作は、人口の3分の1が犠牲になったこの悲劇に対し、米国、英国、オーストラリアがいかにして武器を供与し、外交的隠れ蓑を提供してスハルト政権の残虐行為を可能にしたか、その共犯関係を冷徹な証拠で暴き出した。本稿では、このフィルムの今日的意義、それが暴いた真実、そして今なお残る免責の構造を検証する。

主要な事実

  • 侵攻と占領: 1975年12月7日、インドネシアは東ティモールに侵攻し、24年間にわたる残忍な占領を開始した。
  • 犠牲者数: 占領期間中、戦闘、虐殺、強制的な飢餓、病気により、最大で20万人の東ティモール人が死亡した。これは侵攻前の人口約65万人の約3分の1に相当する。
  • 西側諸国の共謀: 米国、英国、オーストラリアは、インドネシアのスハルト政権に対して軍事的、経済的、外交的支援を継続し、ジェノサイドを事実上黙認・支援した。
  • サンタクルス虐殺事件: 1991年11月12日、首都ディリのサンタクルス墓地で、インドネシア軍が非武装のデモ隊に発砲し、少なくとも271人を殺害。この事件の映像が世界に衝撃を与えた。
  • 独立と課題: 1999年の住民投票を経て、東ティモールは2002年に独立を回復したが、ジェノサイドの責任追及は不十分なままである。

1994年。冷戦は終結し、西側世界は「歴史の終わり」を高らかに宣言していた。しかし、その勝利の喧騒の陰で、無数の亡霊が忘れ去られようとしていた。オーストラリアのジャーナリスト、ジョン・ピルジャーは、そのうちの一つの亡霊——東ティモールで進行していたジェノサイド——に、カメラという武器を向けた。彼のドキュメンタリー『国家の死:ティモール陰謀』(原題: Death of a Nation: The Timor Conspiracy)は、単なる告発フィルムではない。それは、大国によって意図的に構築された沈黙の壁を破壊し、快適な無関心の眠りから世界を揺り起こそうとする、怒りに満ちた警鐘であった。本作は、20世紀後半最悪の残虐行為の一つが、いかにして「自由世界」の指導者たちの共謀のもとに実行されたかを、揺るぎない証拠をもって白日の下に晒したのである。

フィルムレビュー:『国家の死:ティモール陰謀』

概要:沈黙を破る声

『国家の死』は、1975年のインドネシア侵攻から1990年代初頭に至るまでの東ティモールの悲劇を時系列で追う。ピルジャーは、ポルトガル植民地時代の終焉、独立を求めるフレティリン(東ティモール独立革命戦線)の台頭、そしてインドネシアのスハルト政権による侵攻へと、物語を丹念に紡いでいく。

フィルムの核心は、ピルジャー自身が秘密裏に東ティモールへ潜入し、インドネシア軍の監視をかいくぐって撮影した映像と、生存者たちの生々しい証言である。飢餓で痩せ衰えた子供たち、拷問の痕跡を語る人々、そして愛する者を失った家族の悲しみ。これらの映像は、抽象的な政治談議を、血の通った人間の苦痛の物語へと変える力を持つ。

しかし、ピルジャーの告発の矛先は、ジャカルタのスハルト政権だけに向けられているわけではない。彼は執拗に、ワシントン、ロンドン、キャンベラへとカメラを向ける。そして、外交文書や元高官へのインタビューを通じて、西側諸国がこのジェノサイドの「沈黙の共犯者」であったことを暴き出す。侵攻を承認し、武器を供給し、国連での非難を妨害した共犯者たちである。

フィルムが正しく捉えたもの:免責された建築家たち

本作の最も強力な点は、東ティモールにおけるジェノサイドが、西側諸国の地政学的、経済的利益のために積極的に支援・隠蔽されたという事実を明確に立証したことである。

1975年12月6日、インドネシア侵攻の前夜、米国のジェラルド・フォード大統領とヘンリー・キッシンジャー国務長官はジャカルタを訪問し、スハルトと会談した。ピルジャーが提示する機密解除文書は、この会談で米国が侵攻に「青信号」を与えたことを示唆している。米国は、東南アジアにおける共産主義のドミノ倒しを恐れ、反共の砦であるスハルト政権を支持することを選んだ。東ティモールの人々の運命は、冷戦のチェス盤における一つの駒に過ぎなかった。

「米国は物事がそのように(インドネシアによる併合に)なることを望み、それを実現するために働いた。国務省は、国連がいかなる措置をとろうとも、それが全く効果のないものであることを証明するよう望んだ。この任務は私に与えられ、私はかなりの成功を収めてそれを遂行した。」

— ダニエル・パトリック・モイニハン、元米国連大使、自叙伝『A Dangerous Place』(1978年)にて

オーストラリアの共謀もまた、赤裸々に描かれる。ティモール海に眠る豊富な石油・ガス資源をインドネシアと共同開発するため、オーストラリア政府は東ティモールの自決権を早々に見捨てた。1975年、侵攻直前にインドネシア軍によって殺害された5人のオーストラリア人ジャーナリスト「バリボ・ファイブ」の事件でさえ、両国間の「良好な関係」を損なうものとして、長年オーストラリア政府によって矮小化されてきた。

英国も例外ではない。ピルジャーは、労働党政権から保守党政権に至るまで、歴代の英国政府がインドネシアにホーク戦闘攻撃機などの武器を販売し続け、それが東ティモールの村々の爆撃に使用された事実を突きつける。

国 1975年〜1995年の主な対インドネシア武器供与 政治的立場
アメリカ合衆国 OV-10ブロンコ対地攻撃機、F-16戦闘機、小火器、軍事訓練 侵攻を黙認。国連での非難決議を妨害。90%の武器を供給。
イギリス ホーク対地攻撃機、フリゲート艦、装甲車両 主要な武器供給国。人権問題を提起しつつも武器輸出を継続。
オーストラリア ノーマッド哨戒機、軍事訓練、情報協力 侵攻を事実上承認。ティモール・ギャップ条約(1989年)で石油利権を確保。
フランス AMX-13軽戦車、ピューマヘリコプター インドネシア軍の近代化を支援。

1991年11月12日、ディリ

『国家の死』が持つ圧倒的な説得力は、1991年11月12日に起きたサンタクルス墓地虐殺事件の映像に集約される。この日、首都ディリのサンタクルス墓地へ向かっていた平和的なデモ行進に対し、インドネシア軍は無差別に発砲。少なくとも271人の非武装の市民が殺害された。

サンタクルス墓地虐殺事件の追悼。この事件は、インドネシアによる残虐行為を世界に知らしめる転換点となった。

偶然その場に居合わせ、虐殺の一部始終をビデオカメラに収めたのが、英国人ジャーナリストのマックス・スタールだった。彼は命がけでテープを国外に持ち出し、その映像はピルジャーのドキュメンタリーを通じて世界中に配信された。血に染まった地面、逃げ惑う人々、兵士の冷酷な暴力。この映像は、インドネシア政府が主張する「内政問題」という嘘を粉砕し、占領の残虐な現実を誰の目にも明らかにした。

フィルムが捉えきれなかったもの:ジェノサイドの経済学

ピルジャーのフィルムは、地政学的な共謀の構造を暴く上で非常に優れているが、いくつかの側面では深掘りの余地を残している。特に、ティモール海の石油利権を超えた、より広範な「ジェノサイドの経済学」については、十分に光が当てられているとは言えない。

スハルトの「新秩序(Orde Baru)」体制は、単なる軍事独裁ではなかった。それは、世界銀行や国際通貨基金(IMF)からの融資を受け、天然資源の収奪と安価な労働力を多国籍企業に提供することで成長を維持する「開発独裁」モデルであった。この体制の安定は、西側の金融資本にとって死活的に重要であり、東ティモールでの残虐行為は、この「安定」を維持するための必要悪として容認された。

ビケケに残るインドネシア国家の紋章「ガルーダ・パンチャシラ」を掲げた記念碑(2016年)。占領時代のイデオロギー的痕跡。

ピルジャーは個々の武器商人や政治家を追及するが、彼らを背後で操る、より非人格的な資本の流れや国際金融の構造については、踏み込みが浅い。ジェノサイドは、地政学的な陰謀であると同時に、グローバル経済システムに組み込まれた冷徹なビジネスでもあったのだ。

軍事援助

石油利権

外交的隠蔽

大量死

数値で見る抹殺:人口統計学的破壊

ピルジャーのフィルムが突きつける告発の重みは、東ティモールが被った人口統計学的な破壊の規模を直視する時に、より一層増す。24年間の占領は、文字通り一つの民族を抹殺しかけた。

項目 数値/推定値
侵攻前の人口(1974年) 約650,000人
占領による総死亡者数
↳ 東ティモール真実和解委員会(CAVR)による科学的推定 102,800人 (± 12,000)
↳ 学術的な最大推定値(Chomsky, Kiernanら) 約200,000人
侵攻前人口に対する死亡者の割合 約20%〜30%
国内避難民・難民(1979年時点) 300,000人以上
東ティモール占領下における死亡者数の推定値 0 5万 10万 15万 20万 102,800 CAVR推定

200,000 最大推定 死亡者数推定(単位:人)

この驚異的な死亡率は、偶発的な戦闘の結果ではない。インドネシア軍は、組織的な軍事作戦を通じて、東ティモールの社会基盤そのものを破壊しようとした。

  1. オペラシ・セロジャ(蓮作戦): 1975年の全面侵攻作戦。主要都市を制圧し、大量の難民を発生させた。
  2. オペラシ・パガル・ベティス(人間の壁作戦): 1980年代初頭に展開された包囲殲滅作戦。住民を「人間の盾」として強制的に動員し、山岳地帯のゲリラを掃討しようとした。この過程で大規模な飢餓が発生した。
  3. 情報・治安作戦の強化: 1980年代を通じて、村落の再編、強制移住、密告システムの構築が進められ、社会の隅々まで監視と恐怖が浸透した。

鑑賞の手引き:共に読むべき作品群

『国家の死』は、東ティモールの悲劇を知るための最良の入り口だが、この問題をより深く理解するためには、他の資料と合わせて鑑賞することが不可欠である。

  • ノーム・チョムスキー、エドワード・S・ハーマン著『人権の政治経済学 第1巻』: 東ティモールを、西側メディアがいかにして「良き犠牲者」と「悪しき犠牲者」を選別し、同盟国の残虐行為を無視するかを示す典型例として分析している。
  • ジョセフ・ネヴィンズ著『A Not-So-Distant Horror: Mass Violence in East Timor』: 米国の共謀に焦点を当て、ジェノサイドへの道筋を詳細に再構築した学術研究。
  • 映画『バリボ』(2009年): 1975年にインドネシア軍に殺害された「バリボ・ファイブ」の足跡を追う、ロバート・コノリー監督による劇映画。
  • 東ティモール受容・真実・和解委員会(CAVR)最終報告書『Chega!(もうたくさんだ!)』: 2500ページに及ぶ、占領下の組織的暴力に関する最も包括的で権威ある記録。オンラインで閲覧可能。

ピルジャーのフィルムが公開されてから四半世紀以上が経過した。東ティモールは独立を果たし、スハルトは失脚した。しかし、『国家の死』が暴き出した免責の構造——大国が自らの利益のために小国の運命を弄び、その結果生じた悲劇の責任を誰も取らないという構造——は、今なお健在である。西パプア、イエメン、そして世界各地で、形を変えた「ティモール陰謀」が繰り返されている。

『国家の死』は、単なる過去の記録ではない。それは、権力者の嘘を見抜き、沈黙を拒否し、忘れられた人々のために声を上げることの重要性を、私たちに突きつけ続ける現在進行形のテキストなのである。

出典と参考文献

よくある質問

東ティモールで何が起きたのですか?
1975年、インドネシアが東ティモールに侵攻・占領し、1999年まで支配を続けました。この24年間で、インドネシア軍は体系的な殺害、強制的な飢餓、拷問を行い、人口の約3分の1にあたる最大20万人が死亡しました。この出来事はジェノサイドと見なされています。
東ティモール侵攻の主な責任者は誰ですか?
主な責任は、侵攻を命じたインドネシアのスハルト大統領とインドネシア国軍(TNI)にあります。しかし、米国(ジェラルド・フォード大統領、ヘンリー・キッシンジャー国務長官)、オーストラリア、英国は、武器供与や外交的支援を通じて侵攻を黙認・支援し、共犯者とされています。
東ティモールでの犠牲者数はどのくらいですか?
推定では、1975年から1999年のインドネシア占領期間中に、10万人から20万人の東ティモール人が死亡したとされています。これは当時の人口の約20~30%に相当します。死因は、直接的な殺害だけでなく、意図的に引き起こされた飢餓や病気が大半を占めています。
なぜこのジェノサイドはあまり知られていないのですか?
インドネシアは情報統制を徹底し、ジャーナリストの立ち入りを厳しく制限しました。また、米国やオーストラリアなどの西側諸国は、冷戦下の同盟国であるインドネシアとの関係を優先し、問題を隠蔽する側に回りました。メディアの関心も低く、意図的な沈黙が続きました。
東ティモールの現状はどうなっていますか?
東ティモールは2002年に独立国家となりましたが、長年の占領によるインフラ破壊と人的資源の喪失から、アジアで最も貧しい国の一つです。ジェノサイドの加害者に対する国際的な法廷は開かれず、責任追及は不十分なままです。石油・ガス資源への依存が経済的課題となっています。
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